ページ

2011年2月11日金曜日

客観的であること

たとえば咬合について、一つの咬合療法を学び成功例をつかむと「他の咬合療法は偽物」と考えてしまうことがあります。

たとえばインプラントについて、ネジ止め式が良いと自分が信じると、セメント式は悪い手法だと考えてしまうことがあります。

たとえばセラミックは硬くて対合歯を痛めると信じると、ハイブリッドが最高の補綴物だと考えてしまうことがあります。

(宗教も似たようなことありますね)

そういったものの多くはビジネス性はなく、本当に心から信じていることが多く、
かえってそのほうが性質が悪いと。。。私は思っています。

これまで成長してきたのは自分が白紙だったから、受け入れる準備が出来ていたから、のはずが、一たび成功例(?)をつかむと「これ以外は考えられない」となってしまうのです。
とたんに偏ってしまい、受け入れ態勢が取れず、むしろ壁をつくってしまうということです。

さらに偏った人ほど喧伝したりするので困ります(笑
今の時代はネットがあるので、ブログなどを通じて偏った意見を「この手法をやっている人に、悪い人はいません」などと、「あの手法をやっている人は、悪い人ですから気を付けてください」ということを裏返して喧伝して自分を誇示します。


私は本をよく読みます。
読んでいるときは誰よりも作者の信者になり、物語や主張に心から溺れます。
しかし読み終わったときには客観的な立場で考えます。

講習会へ行ってもそうです。
誰よりも演者の信者のように聞き、「その通りだ」と聞き溺れます。
しかし、講習会が終わったら「本当にそうだろうか」と、いったん異なるポジションから見直し、やはり大切だと思えばその部分を吸収します。

強い人間は良いのかもしれませんが、私のような弱い人間は
いつも「客観的であること」ということはとても重要だと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿