私は2年前まで運動をしていました。
12年前くらいから自転車に嵌り、ロードやMTBのレースにも参加しました。
最初のうちはHPにも紹介してあるような、ゆったりでも走れるエンデューロや、MTBでは初心者向けのミニレースなどに参加していましたが、後半では緊張感抜群で落車も頻繁にあるクリテリウムやTOJ市民レース、MTBでは長野の王滝で行われる「セルフディスカバリー・クロスマウンテン100km」などに出たりと、それなりに頑張って楽しんでいました。
最後の1年はついにトライアスロンに嵌り、スプリント(25km)ですがレースにも参加しました。
なぜ自転車競技をやめてトライアスロンになったのかというと、自転車競技は危険だからです。
なにをもって危険かとは難しいところかもしれませんが、自転車競技は接触転倒が非常に多く、
また、転倒したときのダメージが大きいものです。
実際私も右手の人差指を骨折しましたし、左肩の脱臼もしました。
その点、トライアスロンは基本的に勝負の相手は自分だけになります。
自転車競技で当たり前に行われるドラフティング(他の競技者の後ろに付くこと)は禁止ですし、バイクの前にはスイムがあって、私のようなヘタレはスイムで体力がそぎ落とされています。
もともと、なぜ運動をするようになったのかというと、以前に自分が不健康になったからです。
腰痛からはじまり、最後はこれまで一度も味わったことのないアレルギー症状が現れ、もうダメだと思ったほどです。
金属粉が触れる手などは赤い発疹が出て、目の下の粘膜が深海魚を釣り上げたときのように腫れあがり、呼吸困難に陥りました。
これではいけないと思い、自転車に乗り始め、しばらく経つと少しずつ抵抗力ができたのか腰痛やアレルギーは嘘のように消えていったので、寝る時間を多少削ってでも運動する時間を作ることを心がけてきました。
少し仕事が忙しくなってきたため、2年前にピタッと全ての運動をやめました。
先日の血液検査では「中性脂肪が異様に高いですから、その点だけ気を付けて」と、ドクターに言われました。。。
ですが、まだ今は健康に生きていられています。
ひとたび不健康になると、健康に戻すため、まるで体のホメオスタシスのように「戻し作業」をしなければなりません。
「使いたいだけ使って、無くなったら考える」みたいな、経済観念のない浪費専門の人みたいですね。
死ぬ間際に大金はたいて終末治療するなら、健康で楽しく生きるために「歯」を治しましょうなどと言うからには、自分も多少気をつけなければカッコ悪いです。
なぜこんな文章を書いているかというと、昨年末に私と普通に会話していた知合いが、今、意識不明で入院中だと聞いたからです。
とても普通に生活していた20台の女性です。
聞いた時は放心状態になりました。
まだ信じられません。
ついこの間まで意気揚々と働き、普通に話していた人が。。。
空気や健康というものは、脅かされて初めてその大切さ、ありがたさを実感しますね。
私も何十年も生きているにもかかわらず、未だにそんな程度です。
健康であることに感謝をして、それを維持するよう少しは気をつけなければならないと改めて考えさせられました。
また、それと同時に、健康に生きていられるのであれば、一生懸命働くことも出来るし、一生懸命遊ぶことも出来るなぁと、なんだか当たり前のことを思ってしまいました。
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