95歳の大往生でしたが、晩年はボケていました。
同居している私の母は長女だったということも手伝い、祖母の晩年の面倒をみていました。
祖母の残した子供たち
生い立ちなどを振り返った話を聞いたときは、育てられたのは生みの親ではないなど、今の時代を生きる私には最初のころ理解が出来ないことが沢山ありました。
育ての親に女学校を出してもらった祖母は、ボケても漢字は覚えていて、今の時代の漢字とは違う、それでも漢文ではありませんが「ほとんど漢字」のような文章も書いていました。
私の息子のことを私の名で呼んだり、孫の私が会社に行くときに「じゃ行ってくるね」というと、這うように玄関まで来て三つ指をつき「いってらっしゃい。 お気をつけて。」
と言って送り出してくれたりしていました。。。
家内も気を使って祖母とよく話をしてくれましたが、家内が退座すると「今、知らない人が家の中にいたんだよ」と、毎日のように母に話していましたw
晩年にボケるということは良いことだと、祖母や父を見ていて思いました。
もしボケなかったら、楽しかったことを思い出し、死にゆくのが辛いだろうなと
もしボケなかったら、死ぬことの恐怖を考え過ぎ、苦しいだろうなと
もしボケなかったら、愛する人たちと別れることが悲しいだろうなと、思いました。
実はこの文章も昨年末に書いたものなので、冒頭の表現が「年明けの8日に」となっています。
そういうわけで、一昨日の8日に西日暮里の浄光寺で、子供、孫、ひ孫と総勢50名弱の親戚が集まり、祖母の7回忌がとりおこなわれました。久しぶりに会う親戚たちは、皆一様に時間の流れを感じ、大きくなったな、老けたなと感じましたし「高志もいよいよ老けたね」とも言われましたw
その他の週末の空いた時間は以前として資料作りに追われていますので、基本的にパソコンの前に釘づけですが、気晴らしの時間も設けています。
気晴らしは、お馴染みの「読書」とドライブですが、読書では宮部みゆきの「誰か」を読み終えました。読み手に謎を残したまま終えてくれるこの本では、時代や人の温かさ醜さを感じることが出来ました。
ドライブですが、独りで行くことがほとんどです。
昨日もフラッと横須賀まで行き、海を左手に城ケ島方面へ流してきました。
結局ドライブ行った先では、ファミレスに入って本を読むだけなんですがw
今は先日購入した熊谷達也の邂逅の森を読んでいます。秋田のマタギの物語のようです。
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