2011年10月3日月曜日

長野紀行-5 (帰路)

昼食を御馳走になり、聖高原を経由して帰路につきました。

信州と言えば そば

聖高原

湖畔ちかくに若山牧水の歌碑(石碑)があります。

「 山に入り雪の中なる朴の木にから松に何とものを言ふべき 」

牧水で私が知っているのは
「 白鳥は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよう 」

だけです。




姨捨付近

姨捨は上信越自動車道からも近く、帰りは上信越で帰るようナビに誘導されました。

私の母は昭和10年生まれですが、子供の頃戸倉上山田の笹屋ホテルに集団疎開で連れられました。6人兄弟でしたが、長女だった母だけが疎開できる年齢だったそうです。

それ以来母は笹屋ホテルに行ったことが無かったのですが、昨年、集団疎開以来実に65年以上ぶりに笹屋ホテルに連れて行きました。
昔は道路を隔てて地下通路があり、食事をお盆に乗せて運んだとか、近くに神社があって皆で遊びに行ったとか、わずかな思い出を辿っていました。

集団疎開した翌年、次女も疎開できる年齢になったということで、父(私の祖父)が笹屋ホテルに連れて行ったところ、自分の娘と分からないほど骨と皮だけの姿に変わり果てた長女(私の母)を見て、こんなところに置いておけないと、泣きながら娘2人を連れて帰ったそうです。


笹屋ホテルには「コンシェルジュ」という観光案内人がいて、その人はかなりご高齢の方で、母の言う地下道(今はもうない)のことを知っていてくれました。  こちら

その旅行の時も、姨捨駅周辺はドライブしました。


帰宅後に先生に頂いたお土産を、今でも一番好きな御猪口で・・・


今日も おつかれさまでした






0 件のコメント:

コメントを投稿